2008/01/31


最近、私になにかと降り掛かってくる、天気雨と言いますか、なんといいますか...

先日、関東のとある場所に出張に行きました。

その会社では、50才を越える人たちが現役でバリバリとプログラミングをしており、かなりテクニカルな質問を私にぶつけ、技術に没頭し、いまもなおプログラミングを愛したまま仕事をされておられる方の集まりでした。

ある意味、カルチャーショックを受けると共に、「うらやましい」と正直に思いました。

私の今置かれている立場や役職では、会社から既にを決められてしまっており、私はその線路の上を走り、知らない間に「営業職」となっていく。そんなが見えている気がするんです。

私は、既に役職的には管理職、ですが未だ現場で開発もします。そしてこの役職になるまでに何度も

「まだ開発をさせておいて下さい」

と会社にお願いして来ました。

しかし会社が私に求めている何かと、私が望んでいる何かは、決して同じ線路ではなかったりするのですよ...ハイ


先日、部下が「僕、技術を辞めて営業になります」と口に出しました。

私は何をおもったか、その彼に

「技術が嫌になったのか?それとも見切りを付けたのか?」

と聞いてしまいました。その彼は「いや、実は昔から営業がやりたかっただけです」と答えました。

この時自分が、「見切り」や「定年説」みたいな、境界線と言うものを、知らずと意識してるのかな...と気づきました。

もちろん自分の技術に、有る程度は自信があります。

未だ、自社の後輩には誰にも負けていないつもりです。

ですが今後、何かを諦めて、人の引いた線路の上を走らなければならないかもしれないと、少しでも考えた自分が、イヤーーーーーな気分になりました。


もう少し。
もう少し。

開発を続けさせてください。
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なんだかShibuya.pmとやらで、みんなスライド使っててカッコイイな...
と思ってたら、ついカッとなって自分もスライド作ってみたくなった。

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コメント欄まだやってる...
佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン:小飼弾氏が赤木智弘氏を嗤える本当の理由
日本人にとってソフトウェアが日本語で使えるかどうかは、そのソフトウェア自身の価値を左右する尺度であり、商用ソフトウェアならば直接マーケティングにも影響する。
例えばソフトウェア自身でなくとも、ダウンロードページやチュートリアルが英語というだけでダウンロードを辞めてしまう事もある。
大手企業では日本法人や日本人社員にl10n化やi18n化を任せる場合もある。こういう点で言えばmiyagawaさんも言うように日本人にとってi18n化はJob Securityになり得る。
企業としての立ち位置ならば、それは完全な業務だろう。

最近はあまり活動してないですが、私もこれまで色んなソフトウェアのi18n patchをオフィシャルに提供して来た。もちろん無償で...

例えばvim。私がvimのオフィシャルにpatchを送り始めたのはvimのバージョンが5.6だった頃。それまではMLで英語に苦労しながらvim/cvsheadの追っかけをやってました。それまでのvimは各文字コード毎に実装を個別に対応した処理になっており、今から考えるとそれはひどいコードでした。
私が最初に送ったpatchは「set guifont」で設定したフォントをIMEキャレットにも設定するといった物。Bram Moolenaar氏は適当な英語にも快く答えてくれ、extra patchながら取り込んでくれました。ぜんぜん大したpatchでは無いがftpサーバに「5.6.004」というファイルで置かれたパッチを見た時は飛び跳ねる程嬉しかった。
それからvimには数多くのi18n patchが適応され、現在では内部でutf-8を処理出来る素晴らしいエディタとなった。1文字毎をメモリに持つのではなく全てバイト列で処理すると言った方法の為、他のアプリケーションとは違うi18n化の方法であり特殊ではあるが、逆に言えばvimは壊れたutf-8でも編集出来る様になっている。
最近はBram Moolenaar氏自身が何か新しい機能を取り込む際、マルチバイト文字列に非常に気を使っていてくれて、私がpatchを送る事は殆ど無くなった。でもそれが私の望んだ事だった。

私は、forkが嫌いだ。
私はl10nやi18n化した物をforkとして公開する形が好きではない。出来る事ならばオフィシャルに統合させるべきだと思っている。これはvimのcontribute authorでもあるKoRoN氏も同じ考え。私はl10n化やi18n化はオフィシャルを説得して取り込ませるべきものであって、そうでなければ公開する価値はあまり意味のない物だと信じている。
軽量GUIライブラリ、FLTKには以前、fltk version1をベースととしたfltk-utf8というforkがあったが、私はその頃まだベータ版であったfltk2をutf-8化するpatchを書いて送った。
fltk-utf8の作者には少し申し訳ない気もしたが、このpatchにより現在では当たり前かのようにfltk2で日本語が表示/入力出来る様になった。
良いものは良いものとして後押しするのがベターだと思った。
fltkに限らず多くのソフトウェアがボランティアで作成されており、素晴らしい事だと思う。その多くのエンジニアは見返り等求めない方であって、それをネタに自分のJobを生み出そうなんだ思ってもいない。
dankogai氏のEncodeもperlを後押しする為の物。例えばdankogai氏がperlに手を加えforkとしてEncode対応のperlをリリースしたならば、反論を受ける対象となり得るかもしれない。
しかしそれどころかEncodeはCodeReposにオープン開発という意味で公開されている。つまりdankogai氏はEncodeを独り占めしようとは思っていないと言う事だ。
外国人プログラマがEncodeにpatchを送ったならば、dankogai氏はきっとwelcomeメールを送るだろう。

私のようなちっぽけな開発者にはperlでEncode程のライブラリを作ってオフィシャルからforkさせられる程の実力は無いので大した事は言えないが、ボランティアでpatchや拡張を作っておられる方々に対して"「日本語」という最大最強の非関税障壁に守られた既得権益者"という言葉をあびせるのは明らかに間違っている。

もし「dankogai氏はEncodeをネタに名声を売っている」と言いたかったならば、それは貴方も「dankogai氏をネタに名声を売ろうとした」事になるのではないかな...。

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